タレメーノ・カクの高校留年白書&元芸人社会へ出る

笑われて、笑わせて、笑わせられず、笑う暮らし

「振り向くな振り向くな後ろには夢がない」ってか

 もし、かつての相方がこのブログを見かけたらと思うとぞっとする。

 

 だから、まあ書いておこう。

 

 君がぼくとまた、と言うのなら、一秒で話はまとまるだろう。

 

 ぼくは、なにひとつ恨んでいないし、後悔もしていないし、ウンザリもしない。

 

 尻に乾麺の束ぶち込んで尻もちつかせるぐらいのことは食らわすだろうが。

 

 気が向いたら、いつでもどうぞ。ぼくも別に待っちゃいない。

 

 その時が来たら、またやるだけさ。

 

 

 

 

いい歳の取り方? なに、それ。

 25歳だという青年に年齢を聞かれたのでお答えしたらば、彼はぼくの両目に視線を刺し、上から下から怪しい雑居ビルを見るかのように175センチメートルを確かめる様子。それでもって、まあ屈託のない笑顔ってやつで彼、こう言ったんです。

 

「いやぁ、まじっすか。こんな若い34歳なかなかいないですよ。27歳くらいかと思ってました。カクさん、いい歳の取り方してますねぇ」

 

 いい歳の取り方。とはなんだい。

 若く見られたら、それはいい歳の取り方なわけ?

 実年齢より上に見られたら、それはよくない歳の取り方なのかね、はて、どうかね。

 

 まあ、そんなことはどうでもよろしいか。それよりもなによりも。

 

 34歳のぼくしか知らない彼がどうして、それ以前のぼくを知らない彼がどうして、いい歳の取り方をしているという時間の長さを掌握したか。のように、言うのか。

 

 ぼくはね、履歴書を詐称する男ですよ。いい歳の取り方なんてしてるわけがない!

 

 信用、信頼、信販ブラックリストですよ。いや、だったんですよ。随分時が流れましてね。喪が開けましたよ。もう大丈夫。いや、いい歳の取り方してるわけがない!

 

 ぼくの親が34歳の時って、ぼく、12歳だったんですよ。だからなんだバーロー。

 

 いい歳の取り方とは、さて。

 まあなんであれ、なかなか人様に放てるセリフじゃございませんな。

 

 ところで、ぼくが君の二個上だって? おいおいおい。冗談はやめてよしてさわらないでアカがつくから。……昭和59年生まれでござい。

 

 あたしゃね、本田圭佑さんの二個上ですわ。

 

 

 

 

 

履歴書が足りない

 履歴書をこしらえるというのはどういうわけか、楽しいものではありませぬな。履歴を披瀝したい人にとってはそれを書く作業は楽しいものかもしれませんが、あいにくとぼくの場合はそうではない。人間、ウソをつくというのは非常にストレスを抱えるようです。

 

 なにも、東大出てますとか、TOEIC満点ですとか、商社では営業畑におりましてなどと偽ることはありませんよ。出た学校を書き、入った会社を正直に書くだけなのですが、困ったことに、芸人を辞めてからの職歴がまあひどいもんで。

 あれ、みなさま、どうしてますでしょうか。1日で辞めたなんて会社のことはもう無視してらっしゃることとは思いますが、3ヶ月とか、4ヶ月とかいったような塩梅のやつは。ぼくの場合それがちと多い。いちいち書いてたんじゃあJIS規格の履歴書になんざ治まらねぇよって話なのです。見栄はありません。ただ、全部を書けないんです。

 仕方がない、職歴をいささか編集しちまおうってなことで、あれは無かったことにしよう、あれは働いたうちに入らねぇ、よし、5年やったことにしちゃおうだとかなんとか一人ブツクサ言いながら、パソコンに下書きをつくる。いつぞやの、出てもないアメリカの大学を出たと看板下げてた経営コンサルタントのコメンテーターの泣き顔を思い出しながら、ぼくも低い声で入社年と退社年、それから企業の名を唱えなながら清書の筆を走らせる。

 うん、こんな職歴、ウソじゃねぇか。でも、やってないことをやったとは書いてないからね、まあ、まあ、いいじゃねぇか。——と、こんなザマ。

 

 いざ面接に行けば、芸人だったことをまずは根掘り葉掘り聞かれて、好奇の視線もよくあるし、なぜか尊敬の眼差しを送ってくる面接官もいる。だいたい、好奇の方が受かって、尊敬の方が落ちる。こんなもんです。どっちが嘘つきかわかりゃしない。

 

 そして、在籍期間を偽った職務経歴を脳内リハーサル通り、あるいは役作り通りといいましょうか、まあこれを披瀝するわけです。

 

 まともにやってたんじゃあ、履歴書、何枚あっても足りやしない。しかし、手書きってのは、パソコンに打ち込むのとちがって、ウソがホントになるようで、少し怖いところもありますが、このストレスがやはり、生命力を強くさせるのかもしれません。

 人は何を見て判断し、何を見せようと判断するのか。

 「君はありのままでいいんだ」

 「あなたはそのままでいいのよ」

 そんな文句がお花畑のように咲き誇る昨今ですが、ありのままでいいわけねえだろう! そのままでどうするんだよ! となるのもまた、真実でしょうな。

 

 

 

 

人は突然にいなくなるもの

 どんな関係性の相手であっても、人はたいてい突然にいなくなりますよね。いなくなっていない場合や、そんなこと私たちに限ってありませんよという場合は、いまいるだけであって、明日はどうかわからない。というだけのこと。

 

 仕事のパートナーもそう。結婚を約束した恋人もそう。十数年来の親友だとかもそう。親もそう。

 

 死んだりもそう。離婚もそう。破談もそう。解散もそう。絶縁もそう。突然やってくる。

 

 それを申し込む相手、あるいはそれすらもなくいなくなってしまった相手にとっては決して突然ではないというのが真実なのでしょう。

 

 ぼくも、何度か経験があります。絶望ですわな。

 もしかしたら、いなくなったのはぼくの方かもしれませんが。

 

 自分がされたことをしたくなるのは一体なぜなんだろう。いや、したいという感情はきっとダミー。それで本物の感情の残滓を拭おうとしているにすぎないのでしょう。

 

 ぼくは芸人引退後の数年間。失踪していたことがあります。住所不定、無職だったり働いたり。それまでの人間関係は99%音信不通にして。この1%がなんとも悩ましく、情けなく、有り難くといった感じ。いま思えば命綱です。

 

 逃げなきゃいけない時が、去らなきゃいけない時が、誰の人生にも、そのどこかできっと訪れるでしょう。 これまでいなくなった人たちのいまの幸せを祈りたいものです。

 

 

 それでは脳内で聴いてください。中森明菜さん「北ウイング」

 

 

 

10年ぶりに人前に

 お笑い芸人を引退しておよそ9年という月日を経てているところなのですが、奇妙なことに、今度人前に出てお笑いをやることになりました。

 

 来年、2019年の3月にとあるイベントというか、ライブというか、ステージに立ちネタをやります。引退後、はじめての舞台です。あと半年ほど時間があるのだけれど、もう腸の具合が悪いです。ヨーグルト、キムチ、納豆、冷蔵庫にパンパンです。

 

 知人であるポールダンサーの女性からお声をかけていただき、なぜか首肯してしまいました。それは彼女が主宰する催しで、ポールダンス、歌、舞などの様々なエンターテイメント盛りだくさんの幕内なプログラムで3年前にも演ったらしく、今回の公演には、お笑いがほしいと。

 

 「いやいや。勘弁してくれ。俺はもうやっていないんだから。ふざけんなよ。お笑いなめんなよ」

 

 あとから、あとから、うじうじうじうじ。

 

 「恥ずかしいわ。一度やめた人間が、諦めた人間がもう一回。お笑いライブじゃないライブに、呼ばれたからって、いけしゃあしゃあと。お笑いなら俺に任せろってなツラでもして出ろってか? 俺はやめたんだっつうの」

 

 あとから、あとから、うだうだうだうだ。

 

 彼女は言う。「他にもお笑いやってる知り合いいるけど、君に出てもらいたいと思ったんだよね。私は、君のユーモアが好きなの。君の笑いは人を傷つけない」

 

 ——嗚呼、なんたる誤解。

 僕は人の容姿を材にとって笑いをつくろうとするし、悪口だって散々言う。それで高校時代、担任の先生から叱責を受けたこともある。それで養成所時代、ライブのお客さんから事務所にクレームが入ったことがあり、マネージャーからこっぴどく叱られスーツ姿でお客さんに謝罪したこともある。それで某事務所在籍時代、ネタ見せの場で構成作家からそれでは笑いにならないよとダメ出され、気にせずライブでやってウケた快楽を知っている。

 

 とういうわけで、僕はポイズン含む漫談をします。ネタをつくらなければならない。

 

 主宰者からご要望があり、他出演者とのユニットコントもやります。ネタをつくらなければならない。

 

 話をもらったことにたいして、僕は嬉しくも悲しくもなかった。だけれど、なぜだかやらなければいけないような気がしたのです。

 

 お笑いをやめたとき、納得してやめました。未練なくスパッとやめました。ただ、それは死でした。ぼくは一度死んでいます。成仏できています。

 ただ、その死後つづくこの9年間、ずっと辛かった。まるで地縛霊。なにをしても、心が入らない。なにをしたいというのもない。転々とした。浮浪もした。肉体まで殺す勇気はないものだから、生きていかなきゃならない。

 抱える問題にひとつづつ向き合って、処理し、解決し、整理しました。

 いまもどう生きてゆけばいいのやら、かつてお笑いを志していたときのような目標も、道標もなにも、ない。

 

 そして、考えます。もしかしすると、僕と同じように苦しんでいる人がいるかもしれない。それは元芸人かもしれないし、元役者かもしれない。元ギタリストでも、元ボクサーでもいい。

 あるいは、その道に進路をとりたくともとれなかった人が、僕とは反対に真っ当な社会人として勤労、納税をしていても、悶々としているかもしれない。

 

 人のことなんか知ったこっちゃないけれど、そんなはずなんだけれど、そういう人たちに、今後、なにかしらの形で力になれないだろうか。なりたいんです。自分を救いたいだけかもしれない。だれかのことなんかどうでもよくて、自分をどうにかしたいだけかもしれない。だけど、いや、だから? ワカラナイけれど、出なきゃいけないような気がして——。

 またどこかの事務所に入りたいだとか、プロとしてどうのこうのだとか、そういうことじゃなくて、だけど、趣味でというわけでもなく、ただ、10年ぶりに人前に出ます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カソウのひと

 預金残高の底が白くなっている。外へ出て労働しなければならない。もういっそのこと蟹工船に乗ってさらなる絶望を見てみたいものである。

 

 仮想通貨のみで生活する女の人と知り合ったことがある。いまはもう疎遠なのだけれど、彼女がぼくに話すことはすべてそのテの話だった。金を持たない人間から金をひっぱろうとしているのか、ずっとその観念はぬぐえなかった。お互いにアホであることはまちがいない。

 

 顔が可愛く、体が可愛かった。はじめて二人で飲んだ時、これは完全に美人局だろうと確信めくほど展開が妖しく、あれよあれよ。——結局、ぼくは怖い男に出会わなかったし、金を減らすこともなかった。アパのポイントが増えて喜ぶ彼女の笑顔があっただけだ。

 

 彼女にいまさら会いたいと思うのだけれど、それはやはり残高のせいか。働けという話にはちがいないだろうが、お互いに独身だったのだし、いまもこちらはそうなんだしというわけ。ああ、そうか、結婚したのかなと考えてみる。いや、社会復帰したのかなと想像してみる。ある日突然LINEから消えた彼女はいづこへ。

 

 ところで、こんなことを書いている暇があるなら稼げという話を自分に投げかけたい。毎日読書とランニングばかりで、社会復帰せえよ。さもなくば火葬の日は近い。 

 

 

 

 

 

押し付けがましい笑いがそこらにある

 一般社会において、MC風の人がたまにいる。

 だれかの真似を無意識的にしているようなのだけれど、自分が気持ち良くなっているだけで、こちらは不快極まりない。ぼくが元芸人だから専門的にケチをつけているというわけでは決してない。ただただ、押し付けがましい笑いの作り方に疲弊している。上の立場を利用した、悪行であることが相場だ。はやい話がパワーハラスメントで。笑ハラである。これは、受け取る側みんな感じることと思う。

 なかには、「ああ、この人こんなに喋れてすごいなぁ」と感想をお持ちになられる方もおられるかもしれない。それはそれ、これはこれということで。

 

 信頼関係がなく、方向性も、目標もないので、みんなで番組をライブを作り上げてお客さんに喜んでもらいましょうという幹がないので、よっぽど上手いかよっぽどおもしろくないかぎりは自殺行為、いや、自爆テロ。こちらまでいってしまうわけだ。痛いのはだれだってイヤ。素人がむやみに刀を振り回してはいけないのだ。礼儀作法がやはりある。論理だってやはりある。がんばればいいというものではないんだな。そして、思いやりがなければうまくいかないんだな。 そうなんだな。