読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

留年してから卒業まで先生方によく言われたこと

・一年生の頃(二回目)

 「辞めなかったんだから卒業しなさい」

 「休むな。来るだけでいいから来なさい。また一年生やりたいのか」

 「去年もここやったぞ」

 「みんなの手本になれ」

 「お前が率先しなさい」

 「早退するな。来たんだから帰るな。また一年生やりたいのか」

 「先輩らしくしろ」

 「課題をサボるな。帰らなかったんだからちゃんとやれ。また一年生やりたいのか」

 「さすがセンパイ」

 

・二年生の頃

 「修学旅行行きたいだろう?」

 「お前の元同級生は卒業するんだぞ」

 「違和感なくなったな。馴染んでるよ」

 「十八歳はもう青年だぞ」

 「就職にしろ進学にしろ、今年中に決めないと。また二年生やりたいのか」

 「さすがセンパイ」

 

・三年生の頃

 「ちょっと老けた一年生がいると思ったらなんだお前か。ジャージの色が同じだからまちがえた」

 「お前の元同級生は社会人だぞ」

 「お前の元同級生が大学生だぞ」

 「十九歳はもう大人だぞ」

 「留年しても辞めずに来て卒業できそうなのに、就職も進学もしないなんてお前どうかしてる。もう一回三年生やるか?」

 「今年で二十歳か。そうか。センパイ、選挙行けよ」

 「なにお前、まだいたの?」(卒業式当日の朝、体育館入場前にて)

 

 

 

 

 

 

 

年下クラスメイトと打ち解けたころによく言われたこと

 「ダブってる人ってとんでもない不良だと思ってたから、◯◯さんが初めて教室に入ってきた時拍子抜けしました」

 

 「さすが、◯◯さん。年の功だね!」

 

 「めっちゃヒゲ濃くって、もみあげなんかもめっちゃ太くて長くないと、ダブってるって雰囲気ないですね。◯◯さん、薄っ」

 

 「◯◯さんは年寄りだから重いもの持たせないで〜」

 

 「パイセンは人生経験豊富」

 

 「すげえマニアックな洋楽聴くのかと思ってましたけど、ちがうんですね」

  

 「去年の中間テスト、なにが出ました?」

 

 「ここの主」

 

 「◯◯さんだってちゃんと掃除してるんだからさ〜」

 

  

 

 

 

 

 

 

 

留年と部活

 運動部にしろ文化部にしろ、ハツラツとその活動に勤しむ生徒が留年をかましてしまうなどということはこれまでに聞いたことがない。日本列島のすみずみまで調査すれば一人や二人出てくるのかもしれないが、まあ稀有な存在だろう。

 では、留年する人間というのは部活動を一切してこなかった人間なのか? そうではない場合が、多い気がする。それも、運動部であった場合が。つまり、どこかのタイミングでそれを辞めたのだ。留年する生徒の中で圧倒的にその円グラフを我らのものと言わんばかりに占めようとするのが、不良・ヤンキー業界。ついで、ぼくがぼくであるために苦悩する反体制スタイルな一匹狼業界。彼ら彼女らは、バイクや音楽に触れる前にスポーツに汗を流していた時代があり、そこで挫折を経験しているのだ。下手で下手で球拾いしかできなかったという人間もいれば、エリートで県選抜チームにも入っているほどに有望だったのに大怪我をしたり、上には上がいることを知って心が粉砕されたりと様々だろう。そこから、周囲とはズレ始める。保育園または幼稚園、小学校、中学校と、基本的には同級生のみなと同じように過ごしてきている。一見するとそう印象を持つが、やはりそうではないわけで、家庭環境はいろいろだ。その蓄積されていた黒いものが、ふと運動を辞めたあとに止めどなく溢れては次第に凝固する。それは、座礁したタンカー船が重油を海にぶちまけるかのごとくであり、岸壁に忍び寄ってはうず高くなろうとす黒い塊のごとくである。

 部活を辞めると(事情や辞め方にもよるが)、下降あるいは転落する可能性が高いと親をはじめ友人や世間に思われているのが現実だ。そして、自分はダメな人間だと思い込んでしまうケースも多い。そんなことはないのだけれども。だって、それを辞めた分だけ視野が広がるではないか。いままで、バットやグローブ、スパイクにジャージにしか向いていなかった眼が、それこそバイクや音楽やファッションに行く。本を読むようになるかもしれない、落語を聴くようになるかもしれない。これまで付き合ってこなかった人間と友人関係を築けるかもしれない。それは素晴らしいこと。金髪のモヒカンやメガネのインテリと接してはいけない理などない。別れなければ出会えない。出会えば別れる。なんのことはない、自然の摂理というやつだ。

  さて、留年してその高校にまた通いあくまで卒業を目指すのだという生徒がいて、そんな彼あるいは彼女がなにかの部活に入ろうかなんてことがあるのか。これも稀有中の稀有。ないだろう。なにが嬉しくて、クラス以外にも自分がダブりであることを示さなきゃならない。そこで、留年してることなんて関係ないよな、なんて爽やかな思考を持つ人間はそもそも留年しない。

 筆者であるぼくはといえば、部活動をせずに留年以降の三年間を過ごす。担任が国語科で空手部の顧問で、文武両道大好きおじさんだったが為に、ある時までぼくはその空手部に入れ入れと毎日のように耳元で囁かれ、一瞬も迷うことなくその都度無慈悲な断りを返していた。「空手部に——」との言葉があらわれなくなったのは、ぼくが彼にオススメの本はなにかないのかとお伺いを立て、それを借り休憩時間になっては読み耽りはじめてから。先生からすれば、なにかに打ち込めとか、まあそこまでのことでなくとも、なんかせえや、といったところで、本を読むならじゃあ本読んどけといった塩梅だったのだろう。十七歳の高校一年生が未経験で空手部に入るだなんて、どうかしている。高校を留年している時点でそうなのだから、もうこれ以上どうかしたくはないものだ。この頃のぼくは考えた。高体連は、留年している生徒に対してはどういう扱いをするのだろうか。年齢がひとつ上であるのなら、これはある種のドーピング扱いか? 十八歳で強制引退か? 高三時、十九歳になった瞬間反則負けか? だれが部活なんかやるもんか。そして、ぼくはバイトをはじめ、生活と将来のために金を稼ぎだした。

 振り返って思う。文化部に入っていたらどうだったろう。新聞部であれば、紙面に留年の特集が組まれては年下記者に取材を受け、自身も部員で記者でありながらなにも書けず、まるで犯罪者のように名前が出ていたかもしれない。写真部であれば、留年した男として被写体専門になっていたかもしれないし、私生活まで追われてはなにかやらかさないかとスキャンダルを期待されスクープを狙われていただろう。それは結局新聞部に売られる。演劇部であれば、なぜ留年し、いかに留年を過ごしているかの学園ものが上演される。しかも、留年した生徒の役ではなく、ジジイの教師役をやらされる。といったところが相場だったにちがいない。

 学校の部活になど入らなくとも、自分でなにかを見つけ活動すればいい。見つからないなら、見つける活動をすればいい。バイトでも読書でも運動でも遊びでも。なにかに属さなければできないこともあれば、その逆も必ずある。部活動礼賛主義の高校青春朝焼物語に、誇り高き留年精神を明け渡す必要はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留年と恋愛

 十代も後半になれば誰かを好きになったり、恋人ができたり、ほしくなったりと、そういう出来事や思いが芽生えるのがごく自然なことなのは言うまでもないけれど、それは一般的な高校生と同じように、留年した高校生も同じだ。

 留年の渦中にいると、自分は皆と比べて人間として劣っているだとか落伍者だとか本気の厭世観が育まれて仕方がないから、誰かに恋をしても、どうせ自分なんてとなるのがまあベタというか、一種のあるあるかなと考えられるなかで、その学校の環境によっても大きく違ってはくるが、同じ学校あるいは同じクラスでそういう関係になれたならば、留年している事実も受け入れてくれ、それと関係のない人間としての評価をしてくれたと言うことができ、ごくごく普通の青春を送れるのではないだろうか。留年しているとか、していないとか、カンケーなくねえ? なんて、地元の同級生なんかは言うのだろう。たしかに関係ない。が、自分を形成する重要な事実であることもたしか。自分で乗り越えるしかない。精神的にも、物理的にも。でないと、本当にカンケーなくはならないから。

 留年したら、まちがいなくモテる確率は激減する。少女漫画じゃないのだから、男であれ女であれ、年上の魅力だとかいうふざけた展開にはならない。なぜなら、現実的には、高校をダブるなんてどうかしてるからだ。

 かく言うぼくは、モテなかった。工業高校機械科でクラスに女子がひとりしかいなかったというのが、永遠のいいわけなのだが、普通科の学校だったらばモテるモテないの土俵にすら上れていなかったのではないかなと、振り返ると思う。なので、首を戻したいと思う。とはいえ、彼女がいたこともあった。相手は二つ年下の地元の後輩で、数ヶ月程度の付き合いを高二の終わりごろから高三の初夏までを経て、たわいもないテンプレートじみたよくある理由でぼくからお別れをした。在日朝鮮人だった彼女もまた、日本の人口からしたらマイノリティにあたる青春の日々を過ごしていたのだろうから、シンパシーめいたものを感じて留年している男に少し興味を持ってくれたのかもしれない。ダブったことよりも、ダブっても通っている事実がそのおかしな衝撃をはるかに凌ぐおかしさらしく、ぼくが二歳上で学年がひとつしか変わらないことはどうでも良かったらしい。

  留年したって恋愛していい。片思いでも、しているならばそのまましたほうがいい。当たって砕けてみたり、成就したり、普通に暮らせばいい。東大入学者だって自分に自信がない人はいるだろうし、高校を留年したって自分に自信を持っている人はいるはず。自分に自信がなくたって人に好かれたりもする。複数回同じ学年を過ごすことは、人生を留まることでは決してないから、どんどん進めていったらいいのではないだろうか。悲しい結果になっても、喜ばしい結果になっても、留年はカンケーない。 

 

 

留年とアルバイト

 アルバイト先に自分と同い歳の高校生がいる場合。その職場の先輩なり社員なり店長なりとしばしば交わされる会話がある。一年を通して折に触れあるのだが、なかでも春が近づくにつれてその頻度は激しく上がり、全員に同じことを聞かれては答える。実に拷問めいた時間だ。

 「◯◯君って△△さんと同い歳だよね? じゃあこんど卒業だね。春以降どうするの?」

 留年していて来年度もまだ高校生なわけだ。この問答。面倒で面倒で心はみるみる疲弊する。大人からしたら大したこととは感じないし、当事者でなければ「気にすることなんかないじゃん」「ダブったのはお前の問題なんだから、なんで周りが気を使ってそこまで考えて話さなきゃならんのじゃ」と言う話になるだろう。それでかまわない。本人からしたらそこにストレスを感じて、誰がどうではなく、内省するんですということがここでは言いたいだけ。とはいえ、店長にまでも「あれ、◯◯君も二月いっぱいで退職か〜」などと言われると、卒業予定は来年度なのに「そうなんです〜」と言いたくもなる。「留年してんの、面接ん時言ったじゃん! ジジイこのやろう!」と体内の慟哭は止まらない。

 同い歳の高校生アルバイトが自分と同じ高校でもあった場合はなおうっとうしい。

 「◯◯君って△△君と同い年で同じ高校なんだよね? △△君、修学旅行でこの日からこの日まで出勤できませんって言ってたけど、◯◯君シフト希望いつでも出れますってなによ〜。休みにしとくよ? それとも、修学旅行行かずにここで働きたいってことかな? それは助かるな〜!」

 さらに、アルバイト先が地元の場合は煩わしさに囲まれる。もちろん中学の同級生が来るような飲食店などはその精神的負担を想像するに難くないから避けるのだけれども、油断あるいは考えが及ばずにスーパーマーケットで働くことを決めてしまった場合、同級生はコンビニに行きがちだから来なくとも、その親が来る。

 「◯◯君、高校出てもここでバイト続けてるんだ〜! いまどこの大学なの〜?」

 「◯◯君、このあいだ自転車乗ってるの見かけたんだけど、なんで学ラン着てたの? 大学で応援団でもやってるの? うちの娘も大学でサークルが忙し……」

 「◯◯君はえらいね。なんでですかって、髪の毛も染めないでアルバイト続けてしっかりしてるからよ〜。うちの息子は高校出てすぐ頭茶色くしてね〜なんかチャラチャラしてこないだも……」

 とこんな具合。噂なんてすぐ広まるのだから、一回誰かに言ったら広めといてくれよと思うのがまあ人情ではある。が、他人に期待しているようでは人間まだまだ。留年していることなんて、所詮一般的ではなくって、当事者とその家族以外にはよく分からない非現実的なことなのだから、もうピエロにでもなって「そうなんです。ぼくいま◇◇大学の応援学部でアルプススタンド専攻してるんです〜。ゴール裏はちょっと軟派なんでね〜。下駄でも履いて、ススキでもあれば口にくわえたいくらいですよ〜」とか言ってればいい。おばさん達とまじめに話したところでどうにもならない。人目につかない職種もいいし、人目につく職種もいいし。みなそれぞれ自分が思うようにしたらいいわけだけれど、人間一つでは語れない。多面的な自分というものを認め、また作りながら、それをまるで他人のように客観視して、適当に楽しめばよろしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留年と昼食

 弁当を持って行くという習慣は僕にはなかった。コンビニでなにかを買って行くか、購買でパンでも買うか、学食で食べるか、ということになる。留年し年下の中にひとり年上である人間にとって、クラスの皆と打ち解けていないうちはすべてが地獄の沙汰であるのだが、日常においてはなかでもとりわけこの昼休憩が、まあ辛い。容易く想像できる。教室で弁当を食べれば「あの人ダブってるけど、親の作る弁当食べるんだ」となるし、コンビニのものを食べれば「ダブるとやっぱり孤独なんだな」となるし、購買にパンを求めて行けば「おい、下級生、元気にしてんのか?」と元同級生に見つかるし、学食に行けば「ダブってんのにカツカレー食ってんじゃねえ」となる。だろうと、当時の僕は考えて、二度目の一年生がはじまって一学期のほとんどは、学校の外で食べていた。その春から夏までの三分の一は早退していたから、その分は家でということなんだけれど、そうでない日は、昼の鐘が鳴ればすぐに財布を持って学校の外へ出る。歩いて五分ほどにあるコンビニへ行く。いくつもの雑誌を立ち読みして飽きたらパンを買い、歩きながら頬張ったり、道端のベンチのようでベンチでないようなものへ腰掛けて食べてお茶を飲んではボケっとしたり。周囲から見ればどうしたって暗い正午になる。当の本人とすれば、学食や教室にいるよりはるかにマシであるから、これで随分機嫌がよかったりした。僕もいまこうして書きながら、どこか他人事でこの子はどうなのと思いつつ、しかしながら、周りがどう見ようが自分が良ければいいのである。歩きながら食べるにはサンドイッチは向いていない。レタスが落ちて、マーキングしているようになってしまうから、オススメはやっぱりソーセージパン。コーンパンはダメ。

 そんな生活もいずれ飽きる。だって、外に出るのが面倒になってくるし、雨の日だってある。いつの間にか朝買っておいたパンを教室で食べてたり、誰かが話しかけてきてくれたり。僕の場合は一年生(二度目)の二学期の半ばぐらいから、そうなったのではなかろうかと記憶している。学食に行くのはそれからまだまだ時間を要した。

 社会人でもトイレにこもって弁当を食べる人間がいるとかいないとか聞いたことがあるが、自分が在籍している世界の外に出たほうがいいだろう。いろんな人が歩いているし、いろんな人が働いている。学校にいない人たちのことを見ながら、なにか少しでも口に入れ、他者の姿を通して自分を見つめたらいい。小さな世界の小さなトイレにずっといたら、小さいアウトプットしかできなくなる。なにより不味い。外で食べればなんでも美味しい。居場所は外でいくらでも作れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

留年した生徒の退学率あるいは卒業率

 自分が体験したこととそれによって得たことしか話せず、なんの統計もなければ裏付けもなく、まして取材や調べ物など一切なしの文章を僕は書き連ねている。あてにするにしろ、あてにしないにしろ、好きにしてほしい。

 僕が卒えた高校は県立の工業高校。時代は、二〇〇〇年四月から二〇〇四年三月。偏差値が高いところだったというわけでは決してなく、卒業生の半分強が就職、その他の半分が専門学校へ、残りの半分の大学進学者のうちほとんどが工業系の大学または学部へと、だいたいこういう進路の分かれ方をした。その特性が故に学校には工業系の学科が五つあり、いってみれば◯◯科が賢い◯◯科が賢くないといった順番はあることにはあり、いる人種も一目瞭然わかりやすかったり。運動部も盛んだった。いくつかは全国大会を狙えるような、OBに有名スポーツ選手もポツリポツリいるような、部活関係なく体育会系の校風。全校生徒約千二百ほどいて、女子はその一割ほど。ヤンキーも多く生息し、僕が在った機械科の場合クラスの三分の二は、真面目君であれ不良君であれ普通君であれ、車・バイクマニアだったりする。二度目の高校一年生をはじめた四月、僕が在籍する機械科の三つのクラスにそれぞれひとりずつ、留年生がいた。無論、他の学科にもいた。だけれども、いわゆる賢い学科、偏差値の一番高い学科にはひとりもおらず、それが下へ行けば行くほど、その存在は増えた。一番下の学科は、クラスはひとつだけだったのだが、留年生も多かったが、中途退学者も多かったらしく(留年が決まった、少年院に行く、妊娠などさまざまな理由で)、すかすかのエアリーな教室であったことは折に見た時印象的だった。そんな学校であったと、まずはここで明記しておく。

 さて、一年生を二度やり僕は卒業したわけだが、その時卒業した留年生は僕ひとりだった。みな、やめていった。これは自慢では決してない。卑下でもないが自虐に近い。卒業こそしたが四年かかったのだから。何度でも言うが、「留年」自体は犯罪ではないし悪いことではない。人生の歩き方はひとそれぞれ。事情もある。でも、なにも事情がないのなら、いや、あるにしても、三年で卒業できるところは三年で卒業する方がいいに決まっているのだ。

 二度目の一年生の四月、そして五月、ここでみな留年生は『ダブり』の被害妄想で教室から去ってゆく。ひとりだけが年上の異分子だ。とてもじゃないが教室なんかにいてられない。二学期に来ない。体育祭の前にまた減り、次に冬、またいなくなる。やり直すのだとせっかく退学をせずにいても、学校に来たり来なかったり、結局ずるずるとなにも変われず、三学期に進級が絶望的になると、やっぱりやめる。

 退学率あるいは卒業率というのか僕には知らないし、そんな答えをはじくにも分母が正確にわからないから数字の出しようがないわけだが、まあ、留年したらみなまずやめる。叩いたデカイ口はいつの間にか萎んでおちょぼになり、不良じゃなかった者が不良になり、不良だった者はそれに磨きをかける。なんであれ働くか、定時制通信制に編入する。おなじ学校にとどまって、また行くんだと決めるほうが稀なことであり、とはいえ卒業までにはなかなか至らず。言うは易し。厳しいものがある。やるは難しだ。

 卒業したので偉そうにひとつ書いてみようと思うのだけれど、出席日数をまずはクリアして、課題だなんだと当たり前にやって、試験で三十点でも取っていれば、単位は取れるのだよ。そういう問題ではないことは重々承知なのだけれど、楽して卒業したいのなら頭を使わなければいかん。偏差値やお勉強の得手不得手なんか関係ない。頭を使わなければ目的は達成できん。まして楽がしたいのなら。自分で勝手に誇大に難しくしたらいかん。困難だと思う。尋常ではい神経をすり減らしていることだろう。感情的にならず、もしなっても、落ち着いたらその時は冷静に。頭を使おう。

 事情はさまざま、一概にもちろん言えない。ただ、僕は、高校を三年で卒業できない不器用な人間、好きだなと思う。普通ではないんだもの。やっぱり、なんか個性的で好きだな、放っておけないなと思う。「退学」だってそれ自体に良いも悪いもない。するにしても、敗北感のある後ろ向きなやめ方はしないでほしいかな。四年かかってでもだ、卒業するのとしないのとでは心臓がやはりちがってくる。三年のものより味わい深いかもしれない。そしたらどうだ、もはや高学歴ともいえるだろう。数式や英検や漢文、親や常識や世間や高卒の資格なんかはどうでもよろしい。 自分の在りたい姿でどうぞ。