高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

留年とは

 日の出に夢を見、希望に満ち溢れているような方、そのままで結構でございます。新春のお慶び申し上げ、僕はこれで貴方様の前からお暇させていただきます。

 

 年なんか明けてくれるなと思っている、暗い青春の只中をさまよう高校生諸君に告ぐ。明けましておめでとう。明けてしまったものは仕方がない。時間は自分の手で開閉できるものではない。けれども、退学するか、留年しても通うかは自分で決めることができる。たとえ、親の意向や権力があったとしてもだ。なぜなら、行くも行かないも、君の人生だからである。

 僕は十三年前、とある政令指定都市内に建つ全日制高校を十九歳で卒業した。高校一年生を二回やったことになる。高校三年生のときに、元々の同級生は大学生であったり、社会人であったりした。入学、サッカー部入部、入院、退院、サッカー部退部、休学、自主退学希望申請、復学、留年、卒業。僕の高校生活四年間という時間をひらがなを入れず説明するとこんな具合だ。非常に恥ずかしい話であると、三十を過ぎた僕は認識している。だが、誇らしい経歴であるということも事実なわけで。

 なにも自虐を披露したいわけではない。自慢話をしたいわけでもない。ただ、『留年』という言葉が他人事ではない君にこれから少しずつ、話がしたいだけだ。

 先に、結論を記しておく。

 留年しそうな君、寝る間も惜しまず課題に取り組み、絶対に進級したまえ。留年してよいことなどひとつもない。三年で卒業するのが良いに決まっている。

 留年が決まった君、退学するもやり直すも君が決めたまえ。どちらの選択にも苦難があり、重大な出会いがあるだろう。

 留年が決まり退学をする君、よくぞ決断した。学歴など関係ない職に就けばよいし、あるならばまた勉強し直し、高校卒業程度認定試験を受け、大学に行けばよい。ただ、それだけの話だ。働かない場合でも独学でなにかを得ればよい。

 留年が決まり意志もなく年下だらけの教室に迷い込もうとする君、辞めたくなれば辞めればよい。とりあえずでも行くなら行けばよい。

 僕は占い師ではないので、責任を持って言う。留年とは、日の出である。どんな一日になるかなど、そのときはまだわからない。それは、自分の人生を考える、デザインする、感じるにはもってこいのとっておきの明かりになる。いま、君が布団の中で黒くうずくまっていてもだ。止まない雨はあると思う。明けない夜もあると思う。だが、留年自体は日の出で間違いない。原級留置などと罪名のように言う人間など、視界に入れなくてよろしい。美しいものを目にいれなさい。

  留年が決まり年下同級生に囲まれ、さん付けで呼ばれる覚悟を、ダブりと囁かれる覚悟を決めた君、必ずや卒業してやろうじゃないか。 

  僕は高校卒業直前、叔父にこう言われた。

「おまえが学校辞めるじゃ行かんじゃあて暴れよった頃は、わしもええ加減腹たってのう。おまえには父親がおらんけえ、わしが言うたらにゃあ思うて、高校ぐらい出んでどうするんならあ、辞めるな行けや言うて、おまえのことシバきまわしてしもうたけど。いまじゃけえ、ほんまのこと言うわ。まさかほんまに卒業するとは思わんかった。もし、わしじゃったら途中で辞めとる。おまえ、すごいわ」

 ハンマーを振りかぶられたとき、祖父の仏壇の前で十五歳の僕は恐怖のあまり小便をもらした。シバくどころではない、殺人未遂だ。仏さんの前で仏さんになるというマヌケになりかけた。ここで誤解してほしくないことがひとつある。親戚に脅されて復学したわけではないということだ。ハンマーはなんの関係もない。そして、もうひとつ付け加えて言うと、僕が卒えた公立高校は、かつての叔父が志望するも学力的に諦めたところであったらしいということ。卒業する直前の上記のセリフ。実に痛快であった。

 

 さまざまな理由、家庭環境、学校環境などがあると思う。人それぞれに違うだろう。僕が病弱であったのか、いじめにあっていたのか、学力の貧困であったのか、不良であったのか、引きこもりであったのかはまた。

 これから随時、自分の経験を鑑み高校留年について考えてみたいと思う。大学を留年するのとは、ひと味もふた味もわけが違うのだ。

 留年にあえぐ諸君、僕に理解されたいと思うべきではない。理解されてたまるかという気持ちで読んでもらえれば幸いだ。