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高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

志望校であったか否か

なぜ留年するのか

 推薦入試で合格した。僕はその公立高校へ入学することになる。

 試験は面接と作文。一般入試であったとしても、その高校は僕にとって不安になるような偏差値を求めてはいないらしかった。進学校ではない。工業高校だ。

 県内にあるすべての工業高校の中でも、そこはその道に進みたい人間にとって最も魅力的なブランド価値があるらしいことは知っていた。自動車メーカーのあるその郷里で、そこを卒えればみな就職に困ることはほとんどないようだった。なにせ、県内の工業畑を取り仕切っている多くがその高校のOBだ。高専や工業系の大学に進む者にとっても、有利に働くらしい。

 入学前年の地元最大の祭りで、機動隊と衝突し、逮捕、補導された暴走族の中に、その高校の生徒が多くいたことも事実としてある。全国ニュースにもなり、彼らのような暮らしに憧憬を見る中学生は、その高校への入学を志望したかもしれない。

 運動部も全般強かった。全国大会常連の部もあれば、それに次ぐレベルにある部も多くあり、部活動が目的で志望した生徒もかなりいた。

 僕はといえば、志望校では決してなかった。受験すらできなかった。成績も、内申も、サッカーも、努力も、すべてが足りず、補えなかっただけだ。だから、ただの身の丈知らずであっただけだと言える。できなかったのではない、しなかったのだ。それ以外に行きたいところがあるかといえば、ひとつもなかった。さまざまな理由や、自分が望む条件が重なり、最終的には自分で進学先を決めた。喜び勇んで桜の下を通ったわけではない。しかも、僕が行きたかった高校は、僕が行かなければならない高校の壁一枚を隔てて隣にある。希望も、展望も、想像も、夢も、はじめからなかった。明日、僕はどこへ行くのだろうとさえ思っていた。学ランが人の借り物みたいで、毎朝自分が自分なのかも疑っていた。隣の元志望校も非常に似通った学ランであるのに。

 

 振り返ってみると、その志望校とやらもいま思えば怪しい臭いがする。本当にそこが良かったのか。なにがどうで、そこでなければならなかったのか。『人間万事塞翁が馬』であるということを知るには、当時の僕にはもう少し時間が必要だった。

 たしかに、僕が進んだのは志望校ではなかった。工業にまるで興味はなかったし、理数系は爬虫類と同等に苦手であるし、現に僕は工業の仕事に就いたことはない。だが、僕はそこに行く必要、卒業する必要が、途中で生まれた。留年は褒めてもらえるようなことではもちろんないけれど、卒業した自分はすごいと思う。いまの僕は当時の僕に感謝している。望んで進んだ高校でないからこそ、その後の休学へ繋がったのは因果の種として間違いない。ただ、望んで進んだ高校で望み通りの生活が送れるかどうかは、なんの保証もないだろう。人生はどうやら選択の連続らしい。いつもいつも、自分の望み通りにはならないし、どういうわけか不可抗力に首肯しなければならない場面もあったりする。事実はただの事実。あとは、自分の精神だけが頼みの綱だ。

 志望校であったか否かは、留年に関係はない。志望校であったか否かは、その時にはもう過去のことである。意味を持っていない。 であるから、それはもう忘れるべし。できなければ、行きたかった高校へいまから編入するのが賢明だろう。