タレメーノ・カクの高校留年白書&元芸人社会へ出る

笑われて、笑わせて、笑わせられず、笑う暮らし

志望校であったか否か

 推薦入試で合格した。ぼくはその公立高校へ入学することになる。

 試験は面接と作文。一般入試であったとしても、その高校はぼくにとって不安になるような偏差値を求めてはいないらしかった。進学校ではない。工業高校だ。

 県内にあるすべての工業高校の中でも、そこはその道に進みたい人間にとって最も魅力的なブランド価値があるらしいことは知っていた。自動車メーカーの本社があるその郷里で、そこを卒えればみな就職に困ることはほとんどないようだった。なにせ、県内の工業畑を取り仕切っている多くがその高校のOBだ。高専や工業系の大学に進む者にとっても、そこでの三年間は有利に働くらしい。

 入学前年の地元最大の祭りで、機動隊と衝突し、逮捕、補導された暴走族の中に、その高校の生徒が多くいた。全国ニュースにもなり、彼らのような暮らしに憧憬を見る中学生も、その高校への入学を志望したかもしれない。

 運動部も全般強かった。全国大会常連の部もあれば、それに次ぐレベルにある部も多くあり、部活動が目的で志望した生徒もかなりいた。

 ぼくはといえば、志望校では決してなかった。行きたいと思えたところの受験すらできなかった。成績も、内申も、サッカーの実力も、努力も、すべてが足りず、補えなかっただけだ。だから、ただの身の丈知らずであっただけだと言える。できなかったのではない、しなかったのだ。

 それ以外に行きたいところがあるかといえば、ひとつもなかった。さまざまな理由や、自分が望む条件が重なり、最終的には自分で進学先を決めた。喜び勇んで桜の下を通ったわけではない。しかも、ぼくが行きたかった高校は、ぼくが行かなければならない高校の壁一枚を隔てて隣にある。そんなことある? あったのだ。隣とはよく表現されるだろうが、本当に外壁一枚で隣り合っている。

 希望も、展望も、想像も、夢も、はじめからなかった。春なのに、明日ぼくはどこへ行くのだろうと思っていた。学ランがなんだか借り物みたいで、毎朝自分が自分なのかも疑っていた。隣の元志望校も非常に似通った学ランであるのに。

 

 振り返ってみると、その志望校とやらもいま思えば怪しい臭いがする。本当にそこが良かったのか。なにがどうで、そこでなければならなかったのか。『人間万事塞翁が馬』であるということを知るには、当時のぼくにはもう少し時間が必要だった。

 

 たしかに、ぼくが進んだのは志望校ではなかった。

 

 工業にまるで興味はなかったし、理数系は爬虫類と同等に苦手であるし、現にぼくは工業の仕事に就いたことはない。だが、ぼくはそこに行く必要、卒業する必要が、途中で生まれた。留年は褒めてもらえるようなことではもちろんないけれど、卒業した自分はすごいと思う。いまのぼくは当時のぼくに感謝している。望んで進んだ高校でないからこそ、その後の休学へ繋がったのは因果の種としてまちがいない。ただ、望んで進んだ高校で望み通りの生活が送れるかどうかは、なんの保証もないだろう。人生はどうやら選択の連続らしい。いつもいつも、自分の望み通りにはならないし、どういうわけか不可抗力に首肯しなければならない場面もあったりする。事実はただの事実。あとは、自分の精神だけが頼みの綱だ。

 志望校であったか否かは、留年に関係はない。志望校であったか否かは、その時にはもう過去のことである。意味を持っていない。妙な意味を持たせてもどうだか。 であるから、それはもう忘れるべし。できなければ、行きたかった高校へいまから編入するのが賢明だろう。