タレメーノ・カクの高校留年白書&元芸人社会へ出る

笑われて、笑わせて、笑わせられず、笑う暮らし

体調の問題

 ぼくの体はいたって健康だった。

 病気や怪我などの治療のために休学を余儀なくされ留年に至ってしまった人からすれば、なんて贅沢な頭の悪い野郎だと思うだろう(これはぼく自身、当時も現在も認めている)。この療養でというパターンは、偏差値の比較的高め乃至は最高レベルの進学校において時折起こると、そう耳にする。そうでない高校でもあるにはあろうが、それまでの暮らしぶり、頭脳と肉体の乖離、想像の域を越えないけれど、なんとなく理由はわかる気がする。

 ぼくはこれに当てはまらない。進学校で留年するという、非常に相容れないこの状況はやはり体験しないと、忖度しかねる。ぼくの体に問題はなかった。

 が、一度目の高校一年の夏に一週間入院をしている。急性胃腸炎だった。無論、人生が変わってしまうほどの病気ではない。夏休みだ。出席日数も関係ない。腹はすっかり良くなった。当時のぼくからすれば、「良くなってしまった」と言う方が精巧である。医者が言うように精神的トラブルがあったように思う。その診断に対して、揶揄するようにぼくを祭り上げた慇懃無礼な母に、とにもかくにも疲弊した。

「いまお前が抱えているものは、病原菌ではないよ、そして、弱さでもないよ」と過去の自分に言ってあげられるのが未来人として持つべきホスピタリティーだろうか。

 入院中、病院を抜け出してブリーチ剤をコンビニで買い、戻ってきた病院のトイレで坊主頭を金色にするのだから、心に問題があったことはあったのだろう。

 退院して、すぐに部活を辞めた。二学期は九月に数回行っただけで、それからは休学届けを出し無断欠席することなくしっかりと家にいた。入院はある意味で引き金を引いたような恰好ではあるものの、決して病気療養のための不登校ではない。学校に行きたくても行けなかった人と、ぼくは違う。であるから、ただのだらしのない奴と思われても仕方がない。それで結構。けれど、だらしがないとは一味違うとぼく自身は思っていた。

 

 「すぐれた魂ほど、大きく悩む」

 

 小説家坂口安吾がそう書き残している。

 のちにこの言葉に出会ったとき、自分の魂がまさかすぐれているとは到底思えなかったが、何故か照れくさいような怪奇かつ素朴な感情を持った。