タレメーノ・カクの高校留年白書&元芸人社会へ出る

笑われて、笑わせて、笑わせられず、笑う暮らし

身内

 これはもう大騒ぎ。

 身内から高校留年者あるいは中途退学者なんて人間を出してしまえば末代までの恥だと、若年ホームレスの誕生だと、これぐらいに大人らは考えている。田舎であればそれは顕著のように思うし、東京でもなかなかではなかろうか。これは大学をダブる辞めるという話ではない。高校の話である。

 「高校ぐらい出ないでどうするんだ」

 これはもう、「早く風呂入んなさい」と同じほどいわれる。

 

 親や親戚からすれば、留年自体はおそろしく馬鹿げたものと思っているようではあるものの、卒業すれば構わないというデッドラインもまたあるようなので、留年が決まってしまえば意外とそれについてはいわれない(私立で親に学費を払ってもらっている場合はどうだろうか。想像に難くない)。

 ではなぜ、留年が決まってもいないのにひどく口うるさいのか。

 留年すれば確実に退学するからだ。

 そんなこと、人生の先輩方にはお見通しなのだ。休学や退学を支持してくれる大人など皆無に等しい。いるのであれば、その家族はどんなに素敵なんだろうと想像がもりもり膨らむ。

 ぼくは部活を辞めた時に、「あんた、きっと学校もええ加減になるけえの。しっかりしんさいよ」と母に予言されていた。それは見事に当たった。

 文字通り、「良い加減」になったのだ。

 すぐに登校しなくなり、休学へとことは運んだ。

 

 けれど、祖母からは毎晩のように電話が来るし、母子家庭なものだから叔父が電話口の向こうから腕力をチラつかせてくるしで、包囲網はすぐにできる。

 

 「若かった」ぼくはぼくにそうは決して思わない。

 人をナメ腐っていた心、それは良くはないかもしれない。しかしながら、三十を超えたいまの自分にも同じ感覚は根強くある。いっときの迷いや、過ちや、なんたらかんたらなどというものが理由で学校を休みがちになる人間は結局留年などしない。それは、きっと若さである。健康的なものである。

 

 卒業をしたわけだが、ぼくが高校を留年したという事実など身内の者みな忘れている。親だって、親戚だって、兄弟だって。中学の同級生だって、そういえばといった具合だ。笑い話になっている。なんの恥もない。むしろ話の種になり、意外という印象を持たれたりする(ダブりイコール不良という図式を描く人が世間では圧倒的多数)。

 物理的な悪影響や、損もなにもない。せいぜい親に「あんたの歳じゃったら同級生みんな結婚しとるんじゃないん? 同級生? ひとつ下か? あれ? あの子は同い年? あの子は一個下? あんた何歳なん? ややこしいね」と、ちょっぴり面倒臭いだけだ。

 ぼくはこれまでも書いたし、これからも書くのだろうが、ここでもまた。

 ダブって別にいいことはない。しんどいことしかない。だが、それは学校にいるあいだだけの話。ということも付け加えておこう。

 ダブるべくしてダブった。そんなことを心底から思い感動することはあるかもしれない。そんな感情を抱くことは可能である。

 

 ぼくは、休学も退学も、留年も支持する。

 なにもすべてを肯定するわけでもないが、本人の人生に本人の思考や決意があるのなら、いかなる関係性であれ否定する由はない。人のことなどどうでもよろしい。人のアドバイスに耳を傾けない人は、それはちょっと苦労しそうだけれど、人のいうことばかりに沿って動く人はおもしろくない。

 

 ぼくの年の離れた弟は中卒だ。

 試験の答案用紙に名前を書けば入れるような、点線で書かれたアルファベットを上からなぞれば入れるような、そんな地元の公立高校を彼は中退した。

 その頃ぼくと一緒に暮らしていたら、また少しはちがう結果だったかもしれないが、ちがったらちがったで、なんじゃそりゃと思う。

 弟は、いま学歴で苦労しているらしい。雇用形態や、処遇などなど。

 影響のない職種につけばいいだけなのでは? 兄は思う。そんなに弊害を感じるなら、高卒の資格を取って夜間の大学でも通えば? 簡単に思う。簡単なことなのだ。周知の通り、言うは易しだ。「中卒でもがんばれば云々」そういったのは本人。やるは難しか? 夜飲み歩いたり、ゲームしている時間を勉学に費やすことはそんなに難いか? 幸せは人それぞれだ。彼がそれでいいのなら、兄もまた幸せかもしれない。

 

 善かれと思って人生の先輩方はみな、アドバイスをくれるのだ。感謝するべき。どんな意見にも、人にも。すべてを聞こう。そして、すべて無視すればいい。