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高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

身内

 これはもう大騒ぎ。身内から高校留年者あるいは中途退学者なんて人間を出してしまえば末代までの恥だと、若年ホームレスの誕生だと、これぐらいに彼ら彼女らは考えている。田舎であればそれは顕著のように思うし、東京でもなかなかではなかろうか。これは大学をダブる辞めるという話ではない。高校の話である。

「高校ぐらい出ないでどうするんだ」これはもう、「早く風呂入んなさい」と同じ量を言われる。

 親や親戚からすれば、留年自体はおそろしく馬鹿げたものと思っているようではあるものの、卒業すれば構わないというデッドラインもまたあるようなので、留年が決まってしまえば意外とそれについては言われない(私立で親に学費を払ってもらっている場合はどうだろうか。想像に難くない)。ではなぜ、留年が決まってもいないのにひどく口うるさいのか。留年すれば確実に退学するからだ。そんなこと、人生の先輩方にはお見通しなのだ。休学や退学を支持してくれる大人など皆無に等しい。いるのであれば、その家族はどんなに素敵なんだろうと想像が膨らむ。

 僕は部活を辞めた時に、「あんた、きっと学校もいい加減になるけえの。しっかりしんさいよ」と母に予言されていた。それは見事に当たった。文字通り、「いい加減」になったのだ。すぐに登校しなくなり、休学へとことは運んだ。

 けれど、祖母からは毎晩のように電話が来るし、母子家庭なものだから叔父が腕力をチラつかせてくるしで、包囲網はすぐにできる。

 当時、僕の家系に大学を卒業した者はいなかった。別れた父方の家系もそうだったと思う。なにを偉そうにと当時の僕は感じていたのだが、それも無理はないし、大人たちが実際偉そうにするのも同じである。

 「若かった」僕は僕にそうは決して思わない。人をナメ腐っていた心、それは良くはない。しかしながら、三十超えたいまの自分にも同じ感覚は根強くある。いっときの迷いや、過ちや、なんたらかんたらなどというものが理由で学校を休みがちになる人間は結局留年などしない。それは、きっと若さである。健康的なものである。

 

 僕は卒業したわけだが、自分が高校を留年したという事実などみな忘れている。親だって、親戚だって、兄弟だって。中学の同級生だって、そういえばといった具合だ。笑い話になっている。なんの恥もない。むしろ話の種になり、意外という印象を持たれたりする(ダブりイコール不良という図式を描く人が世間では圧倒的多数)。物理的な悪影響や、損もなにもない。せいぜい親に「あんたの歳じゃったら同級生みんな結婚しとるんじゃないん? 同級生? ひとつ下か? あれ? あの子は同い年? あの子は一個下? あんた何歳なん? ややこしいね」と言われ、ちょっぴり面倒臭いだけだ。それも、近頃ではそんな母をかわいく思えたりもできる。それに、結婚しているしていないは留年など関係ないのであしからず。

 僕はこれまでも書いたし、これからも書くのだろうが、ここでもまた言っておく。ダブって別にいいことはない。しんどいことしかない。だが、それは学校にいるあいだだけの話。ということも付け加えておこう。

 ダブるべくしてダブった。そんなことを心底から思い感動することはあるかもしれない。

 

 僕は、休学も退学も、留年も支持する。なにもすべてを肯定するわけでもないが、本人の人生に本人の思考や決意があるのなら、いかなる関係性であれ否定する由はない。人のことなどどうでもよろしい。人のアドバイスに耳を傾けない人は、それはちょっと苦労しそうだけれど、人の言うことばかりに沿って動く人はおもしろくない。

 ちなみに、僕の年の離れた弟は中卒だ。試験の答案用紙に名前を書けば入れるような、点線で書かれたアルファベットを上からなぞれば入れるような、そんな地元の公立高校を中退した。その頃僕と一緒に暮らしていたら、また少しは違う結果だったかもしれないが、違ったら違ったで、なんじゃそりゃと思うだろう。彼は、学歴で苦労しているらしい。雇用形態や、処遇などなど。影響のない職種につけばいいだけなのでは? 兄は思う。そんなに弊害を感じるなら、高卒の資格を取って夜間の大学でも通えば? 簡単に思う。簡単なことなのだ。周知の通り、言うは易しだ。「中卒でもがんばれば云々」そう言ったのは本人。やるは難しか? 夜飲み歩いたり、ゲームしている時間を勉学に費やすことはそんなに難いか? 幸せは人それぞれだ。彼がそれでいいのなら、兄もまた幸せかもしれない。

 

 善かれと思って人生の先輩方はみな、アドバイスをくれるのだ。感謝するべき。どんな意見にも、人にも。そして、すべてを聞いて、すべて無視すればいい。