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高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

ジャージの色もちがう

留年生活

 二度目の高校一年生。はじめての体育の授業。グラウンドで体操隊形に広がる赤いジャージの中に緑がひとり。留年している生徒は上空からヘリで見たって一目瞭然だ。

 体育教師はひどく野蛮な人で、生活指導の責任者だという。春だというのにすでに肌は真っ黒、キャタピラみたいな金のネックレスをして、ポロシャツの固そうな襟を立てて、竹刀を持つ。これは2001年の話なのだけれど、当時でさえ、こんな人がまだいるのかと思って、なんでここにと思って落胆した。共学とはいえ、ほぼ男子が占める工業高校には持ってこいといった感じのその人は、「おらァ、◯◯! お前センパイなんじゃけェしっかり腕伸ばして手本になれェや!」などと叫ぶ。恥辱とはこのことと、僕はこの時学んだ。

 またこのジャージの緑がなぜだか妙に明るい緑なのだ。発色がいいのは、去年一年間あまり着ていなかったからというのとはおそらく関係がなくて、元々みずみずしいアスパラガスみたいなフレッシュ感がある。一方で、みなが着る赤いジャージは、便宜上赤いと形容してるのだけれども、臙脂色、赤茶色、ワインレッド、その辺りの味わいを持つ、いわば渋い色だった。逆だろう。そう思った。ダブりが赤で、みなが緑だろう。

 「腐ったみかん」が云々というのは、昭和の学園ドラマなんかで言われていたけれど、「腐ったアスパラ」なんか聞いたことがない。そうなったところでだれにも伝染せず、ひとりでしわしわと萎びてゆくだけ。

 教室で学ランを着ていれば一見僕もただの高校生だったから体育なんていうのものは地獄の沙汰で、憂鬱なんて騒ぎではない。みなの赤いジャージがまた血の池を連想させた。小中、高校の最初までサッカー少年だった僕は、ゴールキーパーをしていたのだからみなとユニホームの色が自分だけちがうとういうことには慣れていたのだけれど、やはりそれとこれとは話がちがうわけで、精神が慣れるまでの煩悶といったらなかった。

 果たして、こんな環境に精神が慣れていいのだろうか? 多分、慣れちゃダメだ。僕はそう思いながら、早退を繰り返していた。真面目に通うんだとか、やり直すんだとかいった心はまったくに持ち合わせていない。自分の置かれた状況に抗う必要もないのかもしれないが、「だれがアスパラガスや!」なんておどけてまで、みなと打ち解けたいなどとも思わない。言葉を発せずともスベっているのだし、笑われているにちがいない。だって、ひとりだけジャージの色がちがうんだから。

 

 だったら、俺だけちがう存在としてクラスに君臨してやろう。というぐらいの開き直りが、留年には必要だ。僕はそうなれなかったので後世にこうして伝えている。恥辱の念はもう消え去ったので、それも手伝っているのかもしれない。