高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

わざわざ見に来るアホもいる

 休憩時間になっても当然話す人もいなければ、話しかけてくる人もいない。そしたらもうイヤホンを耳にねじ込み音楽でも聴くしかない。次の授業までの10分、これが永遠というやつか! と言いたいほどに長く感じられる。

 僕の席は廊下側ではなく反対の一番窓側の列の真ん中あたり(これは実に幸運なことだったと思う)。外に顔を逃がすことができた。こうして静かにひとりで外を観察でもして過ごせばいい、と思っても大した景色もなく、見る物がなにもないとはいえ教室内に視野を展げるだなんてとんでもない。結局に目をつむる。だけれど、やっぱり窓側で良かった。中央列のもし、真ん中あたりだったらと想像したら、それだけで吐き気がする。360度逃げなし。コロッセオの戦士じゃあるまいし。

 あるとき肩をぽんぽんと、気のせいかと思うほどに本当に軽く叩かれて、なんだとやはり思って目を開ければ、クラスメイトのある生徒。僕の前にいてなにや用があるといった雰囲気なのだ。ちらと視界の隅に映る周囲の他の生徒もこちらに視線を集中させている。もうこの時点で地獄。見てくんなや。彼になにと聞けば、あの、そこ、えっと、すごく言いよどむ。周りはまだ見てくる。僕は特段短気というわけでもなかったし、血の気の少ない方だからイライラすることも珍しいのだけれど、いままでに経験したことのないことが起きている。なんや。はよ言えや。「◯◯さんおるかって、二年生来てますけど」

  廊下を見ればドアの前に顔が二つ、ニタニタとかつてのクラスメイト。わざわざ上級生が階段を上って、面会に来てくださった。仕方なく廊下に向かえば、教室内の視線も横にずれてゆく。すべての眼球に捉えられてやはり逃げ場はなく、ドアを閉めて、会話をすませてドアを開ければ、また見られる。絶世の美女が転入してきてもここまで露骨に見るかというほどに、まあ見られる。当然に、ぼくはすべてを無視する。それしか術がないし、どうすればいいかほかに知らなかった。

 これは始業式の翌日の、一時間目終了後のできごとで早速にもほどがあるというものだ。よほど蔑みたかったのだろう。留年なんてほんとうにするもんじゃない。

  「みんな心配しとるんでェ。たまには教室遊びに来いやァ」だれが行くんや。

 「お前がたとえダブっても、俺らの絆は変わらんでェ」そもそもねえわ。あったら学校行っとったわ。

 「でも、もうなじんどるじゃん」なじんでないわ。アホが。

 

 嘲笑に対しては、徹底的に無視、あるいは徹底的に封じ込める。できれば封じ込めたいものだけれど、なかなかそうもいかないのが現実であって、学校であれど社会というもの。いかなる状況であれ、理不尽であっても、他者を、または自分を攻撃するなんてことは控えたほうがいいのではなかろうか。自分に必ず返ってくる。言いたいやつには言わせておいてやろう。見たいやつにはいくらでも見せてやろう。だけれども、こちらからわざわざ献上する必要はまったくになく、自分以外の人間がなにを言おうが見ようが自分には関係がないことなので、無視がいい。無関心でいい。逃げていい。逃げきってほしい。仮に関心があって、無視できないのなら、無理して無視したり無関心を装わなくてもちろんいい。そしたら逆に、留年生を弄くり回すヤカラをこちらが見てやろうじゃないか。そして気づいたことは言ってやろうじゃないか。そう、こちらが相手を研究すればいい。決して嘲ることなく。学年はもう一度同じかもしれないけれど、同じ一年を過ごすわけでもない。だれかを下に見て安心したい人にはそうさせてあげよう。かわいそうだから。

 ひざを折って、目線の高さをこちらがわが合わせてあげて、やさしく声をかけてやればいい。

 「ところで、自分のことを心配をしたらどうなんだい?」とね。