タレメーノ・カクの高校留年白書

高校ダブったらこうなるぞ!!

留年した生徒の退学率あるいは卒業率

 自分が体験したこととそれによって得たことしか話せず、なんの統計もなければ裏付けもなく、まして取材や調べ物など一切なしの文章を僕は書き連ねている。あてにするにしろ、あてにしないにしろ、好きにしてほしい。

 僕が卒えた高校は県立の工業高校。時代は、二〇〇〇年四月から二〇〇四年三月。偏差値が高いところだったというわけでは決してなく、卒業生の半分強が就職、その他の半分が専門学校へ、残りの半分の大学進学者のうちほとんどが工業系の大学または学部へと、だいたいこういう進路の分かれ方をした。その特性が故に学校には工業系の学科が五つあり、いってみれば◯◯科が賢い◯◯科が賢くないといった順番はあることにはあり、いる人種も一目瞭然わかりやすかったり。運動部も盛んだった。いくつかは全国大会を狙えるような、OBに有名スポーツ選手もポツリポツリいるような、部活関係なく体育会系の校風。全校生徒約千二百ほどいて、女子はその一割ほど。ヤンキーも多く生息し、僕が在った機械科の場合クラスの三分の二は、真面目君であれ不良君であれ普通君であれ、車・バイクマニアだったりする。二度目の高校一年生をはじめた四月、僕が在籍する機械科の三つのクラスにそれぞれひとりずつ、留年生がいた。無論、他の学科にもいた。だけれども、いわゆる賢い学科、偏差値の一番高い学科にはひとりもおらず、それが下へ行けば行くほど、その存在は増えた。一番下の学科は、クラスはひとつだけだったのだが、留年生も多かったが、中途退学者も多かったらしく(留年が決まった、少年院に行く、妊娠などさまざまな理由で)、すかすかのエアリーな教室であったことは折に見た時印象的だった。そんな学校であったと、まずはここで明記しておく。

 さて、一年生を二度やり僕は卒業したわけだが、その時卒業した留年生は僕ひとりだった。みな、やめていった。これは自慢では決してない。卑下でもないが自虐に近い。卒業こそしたが四年かかったのだから。何度でも言うが、「留年」自体は犯罪ではないし悪いことではない。人生の歩き方はひとそれぞれ。事情もある。でも、なにも事情がないのなら、いや、あるにしても、三年で卒業できるところは三年で卒業する方がいいに決まっているのだ。

 二度目の一年生の四月、そして五月、ここでみな留年生は『ダブり』の被害妄想で教室から去ってゆく。ひとりだけが年上の異分子だ。とてもじゃないが教室なんかにいてられない。二学期に来ない。体育祭の前にまた減り、次に冬、またいなくなる。やり直すのだとせっかく退学をせずにいても、学校に来たり来なかったり、結局ずるずるとなにも変われず、三学期に進級が絶望的になると、やっぱりやめる。

 退学率あるいは卒業率というのか僕には知らないし、そんな答えをはじくにも分母が正確にわからないから数字の出しようがないわけだが、まあ、留年したらみなまずやめる。叩いたデカイ口はいつの間にか萎んでおちょぼになり、不良じゃなかった者が不良になり、不良だった者はそれに磨きをかける。なんであれ働くか、定時制通信制に編入する。おなじ学校にとどまって、また行くんだと決めるほうが稀なことであり、とはいえ卒業までにはなかなか至らず。言うは易し。厳しいものがある。やるは難しだ。

 卒業したので偉そうにひとつ書いてみようと思うのだけれど、出席日数をまずはクリアして、課題だなんだと当たり前にやって、試験で三十点でも取っていれば、単位は取れるのだよ。そういう問題ではないことは重々承知なのだけれど、楽して卒業したいのなら頭を使わなければいかん。偏差値やお勉強の得手不得手なんか関係ない。頭を使わなければ目的は達成できん。まして楽がしたいのなら。自分で勝手に誇大に難しくしたらいかん。困難だと思う。尋常ではい神経をすり減らしていることだろう。感情的にならず、もしなっても、落ち着いたらその時は冷静に。頭を使おう。

 事情はさまざま、一概にもちろん言えない。ただ、僕は、高校を三年で卒業できない不器用な人間、好きだなと思う。普通ではないんだもの。やっぱり、なんか個性的で好きだな、放っておけないなと思う。「退学」だってそれ自体に良いも悪いもない。するにしても、敗北感のある後ろ向きなやめ方はしないでほしいかな。四年かかってでもだ、卒業するのとしないのとでは心臓がやはりちがってくる。三年のものより味わい深いかもしれない。そしたらどうだ、もはや高学歴ともいえるだろう。数式や英検や漢文、親や常識や世間や高卒の資格なんかはどうでもよろしい。 自分の在りたい姿でどうぞ。