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高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

留年と昼食

留年生活

 弁当を持って行くという習慣は僕にはなかった。コンビニでなにかを買って行くか、購買でパンでも買うか、学食で食べるか、ということになる。留年し年下の中にひとり年上である人間にとって、クラスの皆と打ち解けていないうちはすべてが地獄の沙汰であるのだが、日常においてはなかでもとりわけこの昼休憩が、まあ辛い。容易く想像できる。教室で弁当を食べれば「あの人ダブってるけど、親の作る弁当食べるんだ」となるし、コンビニのものを食べれば「ダブるとやっぱり孤独なんだな」となるし、購買にパンを求めて行けば「おい、下級生、元気にしてんのか?」と元同級生に見つかるし、学食に行けば「ダブってんのにカツカレー食ってんじゃねえ」となる。だろうと、当時の僕は考えて、二度目の一年生がはじまって一学期のほとんどは、学校の外で食べていた。その春から夏までの三分の一は早退していたから、その分は家でということなんだけれど、そうでない日は、昼の鐘が鳴ればすぐに財布を持って学校の外へ出る。歩いて五分ほどにあるコンビニへ行く。いくつもの雑誌を立ち読みして飽きたらパンを買い、歩きながら頬張ったり、道端のベンチのようでベンチでないようなものへ腰掛けて食べてお茶を飲んではボケっとしたり。周囲から見ればどうしたって暗い正午になる。当の本人とすれば、学食や教室にいるよりはるかにマシであるから、これで随分機嫌がよかったりした。僕もいまこうして書きながら、どこか他人事でこの子はどうなのと思いつつ、しかしながら、周りがどう見ようが自分が良ければいいのである。歩きながら食べるにはサンドイッチは向いていない。レタスが落ちて、マーキングしているようになってしまうから、オススメはやっぱりソーセージパン。コーンパンはダメ。

 そんな生活もいずれ飽きる。だって、外に出るのが面倒になってくるし、雨の日だってある。いつの間にか朝買っておいたパンを教室で食べてたり、誰かが話しかけてきてくれたり。僕の場合は一年生(二度目)の二学期の半ばぐらいから、そうなったのではなかろうかと記憶している。学食に行くのはそれからまだまだ時間を要した。

 社会人でもトイレにこもって弁当を食べる人間がいるとかいないとか聞いたことがあるが、自分が在籍している世界の外に出たほうがいいだろう。いろんな人が歩いているし、いろんな人が働いている。学校にいない人たちのことを見ながら、なにか少しでも口に入れ、他者の姿を通して自分を見つめたらいい。小さな世界の小さなトイレにずっといたら、小さいアウトプットしかできなくなる。なにより不味い。外で食べればなんでも美味しい。居場所は外でいくらでも作れる。