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高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

留年と部活

 運動部にしろ文化部にしろ、ハツラツとその活動に勤しむ生徒が留年をかましてしまうなどということはこれまでに聞いたことがない。日本列島のすみずみまで調査すれば一人や二人出てくるのかもしれないが、まあ稀有な存在だろう。

 では、留年する人間というのは部活動を一切してこなかった人間なのか? そうではない場合が、多い気がする。それも、運動部であった場合が。つまり、どこかのタイミングでそれを辞めたのだ。留年する生徒の中で圧倒的にその円グラフを我らのものと言わんばかりに占めようとするのが、不良・ヤンキー業界。ついで、ぼくがぼくであるために苦悩する反体制スタイルな一匹狼業界。彼ら彼女らは、バイクや音楽に触れる前にスポーツに汗を流していた時代があり、そこで挫折を経験しているのだ。下手で下手で球拾いしかできなかったという人間もいれば、エリートで県選抜チームにも入っているほどに有望だったのに大怪我をしたり、上には上がいることを知って心が粉砕されたりと様々だろう。そこから、周囲とはズレ始める。保育園または幼稚園、小学校、中学校と、基本的には同級生のみなと同じように過ごしてきている。一見するとそう印象を持つが、やはりそうではないわけで、家庭環境はいろいろだ。その蓄積されていた黒いものが、ふと運動を辞めたあとに止めどなく溢れては次第に凝固する。それは、座礁したタンカー船が重油を海にぶちまけるかのごとくであり、岸壁に忍び寄ってはうず高くなろうとす黒い塊のごとくである。

 部活を辞めると(事情や辞め方にもよるが)、下降あるいは転落する可能性が高いと親をはじめ友人や世間に思われているのが現実だ。そして、自分はダメな人間だと思い込んでしまうケースも多い。そんなことはないのだけれども。だって、それを辞めた分だけ視野が広がるではないか。いままで、バットやグローブ、スパイクにジャージにしか向いていなかった眼が、それこそバイクや音楽やファッションに行く。本を読むようになるかもしれない、落語を聴くようになるかもしれない。これまで付き合ってこなかった人間と友人関係を築けるかもしれない。それは素晴らしいこと。金髪のモヒカンやメガネのインテリと接してはいけない理などない。別れなければ出会えない。出会えば別れる。なんのことはない、自然の摂理というやつだ。

  さて、留年してその高校にまた通いあくまで卒業を目指すのだという生徒がいて、そんな彼あるいは彼女がなにかの部活に入ろうかなんてことがあるのか。これも稀有中の稀有。ないだろう。なにが嬉しくて、クラス以外にも自分がダブりであることを示さなきゃならない。そこで、留年してることなんて関係ないよな、なんて爽やかな思考を持つ人間はそもそも留年しない。

 筆者であるぼくはといえば、部活動をせずに留年以降の三年間を過ごす。担任が国語科で空手部の顧問で、文武両道大好きおじさんだったが為に、ある時までぼくはその空手部に入れ入れと毎日のように耳元で囁かれ、一瞬も迷うことなくその都度無慈悲な断りを返していた。「空手部に——」との言葉があらわれなくなったのは、ぼくが彼にオススメの本はなにかないのかとお伺いを立て、それを借り休憩時間になっては読み耽りはじめてから。先生からすれば、なにかに打ち込めとか、まあそこまでのことでなくとも、なんかせえや、といったところで、本を読むならじゃあ本読んどけといった塩梅だったのだろう。十七歳の高校一年生が未経験で空手部に入るだなんて、どうかしている。高校を留年している時点でそうなのだから、もうこれ以上どうかしたくはないものだ。この頃のぼくは考えた。高体連は、留年している生徒に対してはどういう扱いをするのだろうか。年齢がひとつ上であるのなら、これはある種のドーピング扱いか? 十八歳で強制引退か? 高三時、十九歳になった瞬間反則負けか? だれが部活なんかやるもんか。そして、ぼくはバイトをはじめ、生活と将来のために金を稼ぎだした。

 振り返って思う。文化部に入っていたらどうだったろう。新聞部であれば、紙面に留年の特集が組まれては年下記者に取材を受け、自身も部員で記者でありながらなにも書けず、まるで犯罪者のように名前が出ていたかもしれない。写真部であれば、留年した男として被写体専門になっていたかもしれないし、私生活まで追われてはなにかやらかさないかとスキャンダルを期待されスクープを狙われていただろう。それは結局新聞部に売られる。演劇部であれば、なぜ留年し、いかに留年を過ごしているかの学園ものが上演される。しかも、留年した生徒の役ではなく、ジジイの教師役をやらされる。といったところが相場だったにちがいない。

 学校の部活になど入らなくとも、自分でなにかを見つけ活動すればいい。見つからないなら、見つける活動をすればいい。バイトでも読書でも運動でも遊びでも。なにかに属さなければできないこともあれば、その逆も必ずある。部活動礼賛主義の高校青春朝焼物語に、誇り高き留年精神を明け渡す必要はない。