高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

留年と学費

 世の大半の高校生が親の金によって三年間の門を開け、そして閉めていく。親が学費を出すのは当然であって、そこに理由も大義もあったものではない。親には迷惑云々……という家庭の事情もそれぞれだが、払ってもらえるならば払ってもらったほうがいいには決まっている(子供が教育を受けるのに親が迷惑などという感想を持つようであれば、そんな親に払ってもらう必要もない気はするが)。

 僕が四年かけて卒業した高校は公立高校だった。家庭の経済の為に進路といえば公立校に限られていたものだから、滑り止めの私立の試験すら申し込めない、一発にすべてを注ぎ込むかのような受験を経験し、それは運良く、推薦入試とかいうので面接と作文で簡単に受かったものの、ここをどうして、留年してしまう。退学しようとして休学するのだ。それからまたしても不可解に僕は復学し卒業を目指す。

 奨学金という制度によって高校に行かせてもらっていた。いまで言う、日本学生支援機構だかなんだか、当時は育英会という名称だったかしらん。無論、これは借金。返さなければならない。誰が。自分が。すべての行動は自らの意思。僕は三年分で済むものをもう一年分、おかわりしたことになる。当時僕は考えた。半年間、正式な手続きでもって休学していたのだから、学費は三年と半年分だろうと。当たり前だろうと。甘かった。甘すぎないスイーツが世間を喜ばせる昨今だが、一昔前、あまりにもその考えは甘すぎた。

 退学する。ここは俺の行くところじゃない。お残しは許しまへんでといくら言われても中座しようとした僕が、結局はお腹パンパンの状態で卒業し、それから何年もきっちり四年分の奨学金の返済に追われることになる。いまから数年前に完済した時にはさすがに、俺はアホだ、と思った。三年分で済むものが、四年分になっているのだから。休学の半年分の計算の怪については、問い合わせるような無様な行為もしたくなく。かといって泣き寝入りよろしくの態では癪に触るので、払ったるわい、のしをつけて払い込みしたるわいの意気込みで、いくらかの延滞も合わせて、返しきった。であるから、やっぱりスッキリしたのはした。終戦したのは何十年も前で、時代や文化が目まぐるしく変わってもその賠償金を払いつづけるような、ようやく戦争が終わったよ、てな具合(あるいは、まだ戦争は終わってなんかない。僕の高校生活は敗戦じゃないのだから賠償金という例えも成立していないけれど)。

 私立高校やら大学やらなら学費もたいそうなものになるのだろう。僕は知らない。たかだか公立高校。たかだか百万円、もなかったと思う。それでも自分で払うのだから、親や身内にどうこう言われても、お前が払うもんじゃなかろうがと、正論を振りかざしていたっけ。学費は親に払ってもらうのが最良だと思いつつも、自分で払うならば他に何を言われても、あんたにはなんの迷惑も負担もかけていませんが、とは言えよう。ただし、これはかわいくない。だいぶ嫌われる。三等親から四等親から、嫌われる。迷惑も負担もかけられる人はかけたらいいと個人的には至極思うわけで、かけられない、かけようがない、というのが貧困なのだ。

 もし、退学しても、その分の学費は喜んで払えばいい。奨学生にしても、親にしてもだ。人生に無駄な時間はないとか、そんなことをホラ貝を吹くように唱える人がよくいるけれど、無駄は無駄として絶対に存在するだろうと僕は考える。いいじゃん。なんでいちいち、無駄じゃない、あれは無駄なんかじゃなかったってまるで言い聞かせるように言う。無駄だと痛切に感じているから、ホラ貝を吹くのではないか? その贅肉は無駄ではないのだね? 無駄を認めないと、無駄がかわいそうだ。人生に無駄は必要だ。そして、おそらくはほとんどが無駄だ。その無駄たちが、時々、一瞬輝いてくれたり、振り向けば道が出来ていたり。無駄万歳。留年は無駄。しなければしないほうがいい。学費は少なければ少ないほうがいい。というのも、実に無駄話。

 どう過ごすか。どう過ごしたか。どんな人に出会ったか。プライスレスな経験。そこが重要。ま、それもお金がないと味わえないわけだが。

  奨学金制度に感謝申し上げ、 ここで結ばせてもらおうと思った束の間、小説家・坂口安吾のある言葉を思い出したのでそれを最後に。

 「親がなくとも、子が育つ。ウソです。親があっても、子が育つんだ。」