高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

留年と通学

 自転車通学だった。だから、電車やバスなどで学校に通う留年者の心中は僕にはわかりかねるのだけれど、さぞ、お辛いでしょうとは想像ができる。だって、逃げ場がない。その点、自転車はいい。自由だ。好きな道を通れるし、速度だって自分次第。が、自転車にもそれなりに辛さはあるわけで。

 えっちらほっちらと自転車で向かえば、近づくにつれ同じ学校の生徒が道に増えてくる。脇道から、向こうから、あっちから。とにかく、湧いて出てくる。最寄りの交差点に着いたともなれば、全方位に同じ制服。そのなかで何年生なのかがわかる印が、自転車の後輪カバーの下に貼らされる、ここの生徒のものですよと示す学校名が略されて印字されたシールだ。学年ごとに色がちがう。体操服のジャージの色や、体育館シューズのサイドのステッチの色、同様。入学すると僕は緑だった。一年生の時、そのシールが赤いのがいれば、その人は二つ上の三年生。青いのがいれば、ひとつ上の二年生。緑であれば同級生。だった。一年生を二回やると、それは変わる。自分の色は変わらない。赤いのがいれば、新しい同級生。青いのがいれば、ひとつ上の三年生。緑がいれば、同い年の二年生。

  大きな交差点、進行方向の信号に行く手を阻まれたら、そこは留年者にとって視線はりつけ地獄である。「あいつ学校来てんじゃん」「あいつ辞めなかったんだ」「あの人ダブってる人だよな」「そういうチャリ乗るんだ」等である。留年者にとっていかなる場面であれ辛い期間というのは、やはり、もとの同級生が卒業してくれるまでの期間であり、新しい同級生となじめない期間。どちらも辛い。そして、重なる。だが、もとの同級生さえいなくなってくれれば、こっちのものともいいたくなる心理状態がやがて訪れ、自然、年下クラスメイトとも笑い話ができるようになる。この二つの勢力に対し、どうか、留年生諸君には負けないでほしい。いや、当然勝ち負けではないから、せいぜい潰されないよう、自分を保ってほしいと願うばかりだ。

 が、通学に関していえば、もうひとつ勢力がある。三年生に進級し、卒業も見え、クラスの居心地もいくらか良くなっている頃、奴らは現れる。地元の中学の同級生だ。これが実に煩わしい。早く言えば、マジでウザいのだ。なにも、彼らだって急に現れるわけではない。自分が暮らす同じ町から高校に通っていたのだから。朝家を出れば見かけているし、見かけられてもいる。では、自分が三年になった春から、なにがマジでウザくなるのか。

 奴らは私服で原付に乗りはじめる。仕事着で車を運転しはじめる。この、エンジンがついている側とついていない側の隔たりったら、マジでない。「助手席乗ってくか〜」などと言われた日には、わざとぶつかっていくらかもらおうかと考えるほど。「原付じゃ運動不足でしょがないよ〜」などと言われた日には、頭部をブロック的なもので殴打しようかと、それを目でちょっと探しだしてしまうほど。 「まあさ、大学受験失敗して一浪するのと同じだと考えたら、ダブるなんて大したことないよ。俺だって大学もうすでに留年しそうだし! じゃあね〜!」

 マジでウザい。これが留年者の自転車通学だ。逃げるが勝ち。