高校留年論

19歳で学ランを脱いだ僕から、君に告ぐ

卒業

 

 卒業が見えてくるころにはある種の自信が芽生えるのではないだろうか。

 留年してもその学校を四年で卒業するなんて技は、だれにでもできるものではないと思う。手前味噌であるし、嫌味でもあるだろうし、自惚れでもいいのだが、僕は辞めずに卒業した。辞めても人それぞれだし、それこそ良し悪しはない。が、卒業の事実はすごいことだと思っている。と同時にアホだとも。自己否定ではない。むしろ、肯定している。だから、愛を込めてアホと称えたい。だって、三年で卒業するほうが楽なのだから。なにが嬉しくて四年も通う。アホである。

 では、なぜ自信が、という話だけれど。卒業する時に僕が感じたのは、『向後の人生においてこんなにしんどい思いをすることはないだろう、あったとしても、この四年間を思い出せば必ず乗り越えられるはずだ』こんな月桂冠を自らの頭に乗せるような心持ちになり、金メダルを獲得したような誇らしい瞬間を持て、肯定感と達成感あるいは充足感ともいえるだろう。因があっての結果だ。自信が芽生える。とはいえ、留年しているのだから、ちょっと照れくさいやら、恥ずかしいやらで、舌のひとつも出したくはなる。そしたら出してみよう。みんな喜ぶ。

 

 僕は18歳の高2の冬に年下クラスメイトを誘ってお笑いコンビを結成し、高校最後の一年は某芸能事務所の養成所に通いながら卒業までの日々を経てた。クラスのみんな、先生方、学校全体に応援していただき卒業の一ヶ月後、地元でデビューし芸能活動をはじめた。その年、母校から文化祭に呼ばれ、校内お笑いコンテストの司会と漫才の出番をいただき、まさかの額の低さに驚愕しつつも、ギャラをもらいプロの仕事ができた。行きたくもない高校に入学して、留年して、卒業して、芸人になって、こんなことになるなんて、夢にも思わなかったのだから、人生とはなんてへんてこりん。

 紆余曲折、世の中のすべての人同様にそれはあり、東京で、彼とはお別れになったのだけれど、僕の人生において彼との出会い、彼と共に夢を見られたこと、叶えられたこと、破れたこと、いまでも財産として大事にしまっている。彼のことだけではない。三十を超えたいまでも自分にとっては至極重要な出会いや関係に、高校、留年のおかげで巡り会っている。

 退学しても出会いはある。編入しても出会いはある。つづけても、出会いはある。人だけではないね、物もそう、情報もそう。良し悪しなどは、はなからない。

 卒業するのも、これ一興かな。